アダモ年代別曲解説&批評 2

U 進歩と革命 

1966年〜68年1月

@アルバム「オランピア’67

Aフォース・アルバム「ひとつぶの涙」
B1966-67年の45回転盤発表曲


 U 進歩と革命 1966年〜68年1月までの作品


 この二年間は、美しい過渡期であると同時に、
1968年以降の本格的な芸術作品を語るために欠かせない創作上の飛躍が起きる時代でもある。また、もう一方では
「インシャラー」を代表とする反戦的なプロテスト・ソングが現れてくるのも特徴である。作品の完成度は1965年までとは比べものにならないほどに上昇してゆく。また、前章のアルバム『汽車は行く』のBー2からB−6の作品も実際の時代的にはこちらに属することをここで確認しておきたい。

@ アルバム『オランピア劇場のアダモ'67』

A1. オープニング・テーマ LES FILLES DU BORD DE MER (Indicatiff)
 2. 王女様に羊飼い PRINCESSES ET BERGERES
 3. おさげの少女 UNE MECHE DE CHEVEUX
 4. 君が宝石 SONT-CE VOS BIJOUX?
 5. 雪がふる TOMBE LA NAIGE
 6. ふるさとの恋(いまさらどうにも)ON N'A PLUS I.E DROIT
 7. アンサンブル ENSEMBLE
B1. 今夜の僕 TENEZ-VOUS BIEN
 2. 遠い夢の中で JE VOUS OFFRE
 3. インシャラー INCH'ALLAH
 4. 傷だらけの心 EN BANDOULIERE
5. 君の名 TON NOM
6. クロージング・テーマ LES FILLES DU BORD DE MER (Indicatiff)

 このアルバムと続くアルバムで、アダモはそれまでの作品にはまだなかった強力な表現力を獲得してゆく。代表作品を一曲ずつあげるなら、このアルバムの「アンサンブル」、次のアルバムの「二人のロマン」である。これ以前にもアダモの作品として忘れることのできないものはあった。それはたとえば、「サン・トワ・マミー」などだが、それでもこうした曲はアダモのこの初期でなければありえなかった、単純さ・素朴さと深く結びついていた。その時代でなければできない良さであり、ユニヴァーサルだというよりは私小説的・日記的であった。しかし、このライヴ・アルバムからは音楽が本格的に客観的な視点のようなものをもって拡張してゆく様が聴き取れる。たしかにアルバム全体としての包括的なオリジナリティーは次の時期(1969年以降)を待たなければならないが、すでに二十世紀ポピュラー音楽中の最高作品が生まれはじめている。
  このオランピア盤は、フランスでは1967年1月(FELP321)、日本では同年6月に発売されている(OP-8127)。

 オープニング・テーマとクロージング・テーマ「浜辺の娘」は、この曲は日本公演などでもよく使われたが、私はいまだにそのわけがわからない。こんなサーカスじみた曲を利用することはないのではないかと感じられる。しかし、コンサートのビデオなどを見ているとなぜか説得されてしまうのである。

 本当の意味での一曲目は「王女様に羊飼い」で、覇気に満ちた傑作である。若々しく、勢いがあり、歌詞も音楽に負けていない。歌詞のまとめ方もすばらしい。曲を聴いただけで歌詞が想像できるくらい素晴らしい。そして曲が素晴らしいのだから歌詞も当然素晴らしい。アダモの本当の「オランピア盤」の始まりである。スタジオ盤よりもこちらの方が優れている。

 三曲目「おさげの少女」は、非常に美しい曲で、完成されたアダモの世界が堪能できる。美しいバラードはいままでにもたくさんあったのだが、作品がここまで完成された世界を提示するようになったのは、この曲が初めてかもしれない。これ以前の曲は、いわばアダモがアダモの歌を唄っているという領域にとどまっている、そんな側面がどうしてもあった。しかしこの曲では私たちはすでにアダモの歌を聴こうとしているのではない、アダモの作品世界に包まれているのだ。この曲はスタジオ盤の方が多少優れている。このオランピア・ヴァージョンも優れてはいるが、ただし、スタジオ盤に比べるとギターの弾きおろす音色が無表情で、それが惜しいところである。

 四曲目「君が宝石」は、明るい曲だがそれ以上ではない。中間部などは、さらに初期の作品と比べると技法的に成熟していて、文句が付けられない。しかし、特に語るべきものもない。同じ曲をオランピア盤にも持つ67年から69年のスタジオ作品の特徴だが、圧倒的な緊張感を持つオランピア・テイクに比べるとどこか下手におどけたようなところやうまく緊張感を保てないような面が出やすい。この曲もスタジオ盤ではその傾向があり、オランピア盤が優っている。

五曲目「雪がふる」は、「なぜ、いまここに?」と思わせる選曲だが、いつものように堅実に歌いこなしている。詳しくはアルバム『プルミエ』の解説を参照。

 六曲目「ふるさとの恋」は、田舎の美しい風景が目の前に拡がるような美しい曲で、歌詞も優れている。テイクはスタジオ盤もオランピア盤もほぼ同等の価値を持つ。ちなみに、この曲が「いまさらどうにも」というタイトルで発表されている日本盤シングルの歌詞の訳は誤りが多く、意味が通らない以上に作品の鑑賞の妨げにさえなるので、注意。

 A面最後の「アンサンブル」は、アダモの最初の最高傑作で、アダモ芸術はこのオランピア・テイクにおいてはじめて後のどんな傑作と比べても聴き劣りすることのない芸術作品としての真の風格を獲得した。音楽も歌唱も大変な緊張に満ち、最初のキーボードの一音からすでに一音も聞き逃すことができない。この曲の詳しい解説は「三拍子のアダモ」で書いたのでここに引用したい。

「アダモの才能にとって67年はまさに画期的な飛躍期だった。1967年初頭発売のオランピア盤における「アンサンブル」アダモの声がはじめて一般の意味での人間の声の表現力を超え、真に器楽的な意味での音楽性までをも取り込んだ一瞬だった。この曲におけるアダモの絶唱はその表現の深さにおいてたしかに「声」を超えていた。「声」を超えたところになにがあったのかというとやはりそこにも声があったのだが、この新しい歌声はオランピアのすべての弦楽器・管楽器を統率し、最後には女声バック・コーラスをもしたがえ、壮大な悲劇を再現しつつ、曲の最後のカタストロフに向けて悠々と凱旋した。これ以前の作品にももちろん強力なドラマ性はあったのだが、単独の音の深みにおいて、このオランピア盤「アンサンブル」に比肩するものはない。「インシャラー」「傷だらけの心」といった有名曲も、この曲の前ではどこか説明口調だったり、詠嘆調であったりして、この「アンサンブル」ほどははじけていない。アダモのオランピア収録作品にはよくあることだが、この曲においても後に発表されたスタジオ盤よりもこちらの方が優れている。決定的なのは、最後の女声コーラスがあることによっているが、それ以外でも緊張感はオランピア盤の方がずっと上である。」

 B面最初の「今夜の僕」は個性としては「アンサンブル」と双生児的作品だが、より軽快である。歌詞も曲も素晴らしい。この曲はこのアルバムのセカンド・ベストである。スタジオ盤よりオランピア盤の方が緊張感とスリルに溢れ、演奏も素晴らしい。この曲の”Au fonde moi…”の部分に特徴的な、メロディーのここぞという部分で鷹揚に音程をあげて、メロディーに深い陰影を刻む歌唱法は、まさにアダモならではのテイストで、後に「倦怠の日々」などでも発揮されることになる。これは曲想・歌詞・アダモの声質がみな一致してはじめて可能になる離れ業である。

 B面二曲目「遠い夢の中で」も完成度の高い優れた曲だが、曲想自体はもう少し初期の夢見がちな恋の気持ちが先行している。この種のアダモが好きだという人にとってはたまらない作品だろう。

 B面三曲目「インシャラー」はアダモ自身が贔屓のプロテスト・ソングである。歌詞も優れてはいるが、まだ曲全体の語りの口調が音楽と調和的に処理されていず、多少冗長の感を与える。私はあまり楽しんで聞けない作品である。

 B面四曲目「傷だらけの心」は、悲痛な、あまりに悲痛な作品で、アダモの暗い曲想の作品のひとつのピークをなすものである。この作品にはまだ若いアダモの内なる炎が見える。その点で、同じように悲劇的な曲想の「アンサンブル」に比べて私小説的で、初期の独白調の個性を保っている。それがこの曲の長所でも問題点でもある。テイクは、スタジオ盤の方がわずかに優れている。オランピア・テイクはテンポの遅さが目立つ。

 B面五曲目「君の名」は美しいが多少平凡な曲で、アルバムの最後としては貫禄に多少欠ける。アダモはこの後も二度アルバムの最後にこのような落ち着いた曲を配すことになる。一度は1969年のオランピアにおける「エフ・コム・ファム」でありこれは奇跡的大成功だった。続く70年のスタジオ盤でも「エ・アプレ」で同様の試みをするがこちらは、この67年のオランピア盤と同様、こぢんまりとまとまりすぎている。この曲はスタジオ盤もオランピア・テイクもあまり差がない。

 アダモの1967年のオランピア盤は、アダモ作品にとってその緊張感を最大限に活かして表現することができる新しいレコーディング現場となった。このアルバム中のいくつかの作品は、このステージでなければ絶対に表現できなかった性質をもっている。この流れはさらに創意に満ちた1969年のオランピアへとつながってゆく。


A アルバム『ひとつぶの涙』

A1. ひとつぶの涙 UNE LARME AUX NUAGES
 2. 愛は君のよう L'AMOUR TE RESSEMBLE
 3. マドモアゼル MADEMOISELLE VOU
 4. 彼は馬鹿じゃない IL N'EST PAS FOU (2)
 5. アルノー家の人々 VIVRE
 6. 二人のロマン NOTRE ROMAN
B1. カバンの中に夢がいっぱい J'AI TANT DE REVES DANS MES BAGAGES
 2. 君はもういない ET TU N'ES PLUS LA
 3. 恋のまぐれあたり LE HASARD
 4. びょうの物語 HISTOIRE DE CLOU
 5. 詩の女神 DIS, MA MUSE
 6. ル・ネオンLE NEON

 フランスでのオリジナル盤は1968年1月に特定の名前も付けられずに四枚目のスタジオ・アルバム(CFELP1334)として発表されたが、日本盤ではA面とB面が逆になって発表(OP-8356)されている。アルバム『汽車は行く』のところでも述べたが、日本東芝EMIのスタッフの眼力は素晴らしく、少なくとも非フランス語圏で聴く限りはこの日本盤の方が完成度がずっと高く聞こえる。上記の曲順は日本盤のものであるが、この曲順で解説をしたい。

 一曲目「ひとつぶの涙」はアダモがそのメロディー・ラインに洗練された単純さを獲得したことをはっきりと示す作品で、もはやこのアレンジ以外は考えられないという種類のもの。快活でアダモの豊かな人間性がにじみ出た佳曲。

 二曲目「愛は君のよう」は美しいバラードでこの曲もこの分野の一つの完成された姿である。非の打ち所のない、完全な美しさを持つ曲。そしてこの曲の個性は、イメージよりは男性的なのである。オーケストレーションの輝きは、1965年までアルバムのアレンジを担っていたオスカー・サンタルに加え、66年からアラン・ゴラゲが参加した、その貢献が大きいが、ゴラゲのオーケストレーションはこの時期のアダモ作品に欠かせない要素である

 三曲目「マドモアゼル」は初期から連なるアダモのコント的作品だが、アレンジは以前風で特に優れた作品ではないが、このアルバムにおいて「マドモアゼル」「君はもういない」「恋のまぐれあたり」の三曲は、時代の雰囲気を感じさせる良い意味での気分転換的な作品となっている。

 四曲目「彼は馬鹿じゃない」は、以前に「のんきな男」として発表された曲の再録音版で、素朴な生ギター・アレンジの前テイクに比べ、格段の進歩を遂げている。これはまさに1968年の作品であり、アダモ作品では後の作品「旦那様」につながる曲想である。なお、このアルバムは複数のアレンジャーが関わっているが、オスカー・サンタルがアレンジをした曲はこの曲と「君はもういない」「恋のまぐれあたりの三曲である。(後はフランク・プールセルによる「アルノー家の人々」を別にすれば、アラン・ゴラゲによる。)

 五曲目「アルノー家の人々」は映画の主題歌で、その映画を見られないことが非常に残念であるが、曲自体はこのアルバムの中では平凡な出来である。また、この曲はアナログ日本盤に比べフランス輸入盤CDでは、多少コーラス音が多い、または目立って聞こえる。

A面の最後は「二人のロマン」である。この曲は間違いなく傑作に数えられる作品である。ふたたび「三拍子のアダモ」からの抜粋である。(これは先の「アンサンブル」のところで引用した部分に続く部分である。)

 「こうしてアダモの絶唱的性格が完全に昇華した後に誕生したのが「二人のロマン」だった。この曲は1967年5月29日に本国で発売になっているが、4曲入りのスーパー45回転盤におさめられた次の曲が先の「アンサンブル」のスタジオ盤であり、残りの二曲もここでとりあげている「戦火はるかに」「恋のリュックサック」である。それまでの曲と比較していただければ一目瞭然であるが、この曲は歌い出しからエネルギーが全く違う。これまでの素朴で時には恥じらいがちな作風は身をひそめ、自分の歌声を完全に芸術表現の武器として身につけた大芸術家としての矜持に満ちた壮大な表現形式になっている。曲は最初から終わりの一瞬まで非常な精神的高揚のうちに進行し、よどむところは全くない。聞き手はあたかも曲が最後まで一続きのメロディーでできあがっているような錯覚さえおぼえる。そして私たちはストリングスのあり方がオランピア盤の「アンサンブル」とこの「二人のロマン」以降、まったく変わってしまったことにも気がつくだろう。すでにストリングスは人気アーティストを彩るデコレーションではない。激しい情熱を持つ一個の芸術家を支え、その力に引きずられてゆくしもべに変わったのである。叫びが真の芸術になる。このことが実は人々が一般に思っている以上に絶倫の才能を必要とすることに私たちは気づかされるのだ。(実際、現在すでに街角のどこでも聴くことができる無邪気な若者たちの絶叫音楽は、そんな風に夢中に絶叫すれば情熱的な叫びになると錯覚している若い魂たちの迷いそのままの姿である。本当に叫びが音楽となっている芸術にいつまで気がつかないでいるのだろうか。)完成した作品。最後の一声の歌い出しとストリングスの微妙なずれまでもがこれ以外のあり方ではあり得ないというほどにすばらしい。」

  繰り返し引用するのは、怠慢なわけではない。一人の研究者が芸術家の一つの作品に対し何種類もの批評が書ける方がおかしいのである。かつての文に付け加えることは、私としては何もない。

B面一曲目「カバンの中に夢がいっぱい」はフランス盤ではアルバムの冒頭を飾っている。アダモがこれをアルバムの一曲目に入れたかった気持ちはよく分かる。耳当たりの良いヒット曲を一曲目に置くのではなく、攻撃的で鋭い切り口で作品をはじめたいというのは、すべての有能な芸術家の願望の一つである。それでもアダモにおいては時期尚早だと思われる。アダモがこうしたオープニングを本当に完成させるのは1971年のオランピア盤からである。「カバンの中に夢がいっぱい」は才気溢れる佳曲である。歌詞も優れている。
 B面二曲目の「君はもういない」は、特に派手なところのない曲だが、それでも悪い要素は何もなく、アダモの声にかけられたエコーが独特のノスタルジーを誘う。

B面三曲目の「恋のまぐれあたり」も、すでに時代を感じさせるアレンジだが、このアルバムの他の曲はベスト盤やイン・ジャパン・ライヴ盤に多く収められているせいもあって、このアルバムはこうした曲が聴きたくてかけることも多いのだ。歌詞も曲も多少曖昧な要素はあるが、それでも優れた趣味をもつ佳曲である。

B面四曲目「びょうの物語」は前曲からの気分が違いすぎてついていけないのだが(その点ではこのアルバムの組み合わせは完璧ではない)、この曲は単独で非常に優れた曲である。いつものような明るい風刺的コントだが、音楽的表現の幅は広く、この歌詞を離れていろいろな情景を想像して楽しめる。音楽的な内容はコント的楽しさ以上に楽しい愛の世界を感じさせる。私は個人的には、子羊とバスケットを携えて進む田舎のピクニック的な若い恋を想像してしまう。

B面五曲目「詩の女神も優れた作品で、実はこのようなテンポ、このような表情で優れた作品を書くのは想像しているよりも難しいのである。多少の才気や工夫の才があっても、根本的な美意識がしっかりしていないと、作品はたちまち退屈になってしまうのである。この作品は美しい成功作である。

B面最後の「ル・ネオン」は有名な曲で歌詞にも工夫がみられるが、特に優れた曲というわけでもないし、詩も歌詞としては良いが「詩」としてはさほどのものではない。アダモがアメリカ文化を目の当たりにした一曲であると紹介されることが多いが、実際、アダモがアメリカ文化とぶつかったときにはあまり良い効果が得られないのも事実であるし、逆に、アメリカ文化はその視点ではその程度のものなのである。

このアルバムはスタジオ盤にして四枚目、オランピア盤を含めれば六枚目の作品だが、初期の曲想を表現する形式はすべてそろっている。後の傑作と比べても見劣りのしない、完成度の高い作品が多く、続くオランピア盤から始まる「傑作の森」への準備はこれですべて整ったことになる。

B1966-67年の45回転盤発表曲
(日本盤アルバム『ひとつぶの涙』『汽車は行く』『インシャラー』と一部対応)

1966
1. 33(EGF 869)おさげの少女/こちらは天国/恋人たちのソネット/王女様と羊飼い
2. 616(EGF 887) 美しかったあの娘/恋よいま一度/君の名/バカンスの太陽
3. 1024(EGF 939) 傷だらけの心/ふるさとの恋(いまさらどうにも)/時の流れを/今夜の僕
1967
1.  2(EGF 967) インシャラー/君が宝石/遠い夢の中で
2. 529(EGF 977) 二人のロマン/アンサンブル/戦火はるかに/恋のリュックサック
3. 925(EGF 988) ル・ネオン/アルノー家の人々/ひとつぶの涙/詩の女神
4. 12(EGF 1000) カバンの中には夢がいっぱい/マドモアゼル/愛は君のよう/びょうの物語

 このうち先に記した曲以外のものは次の三曲。

時の流れを QUE LE TEMPS S'ARRETE
戦火はるかに ON SE BAT TOUJOURS QUELQUE PART
恋のリュックサック DANS MA HOTTE

 「時の流れを」は、なだらかな調子の取り立てて特徴のない曲で、「ふるさとの恋」などと同系列だが、それほどの存在感はない。
 「戦火はるかに」も反戦歌であるがサンタルのオーケストレーションは浮いていて効果的ではない。曲自体があまり優れているわけでもないのでしょうがないが。
 「恋のリュックサックは数年前まで自分のいた哀愁を帯びたシチリア民謡の世界に突然立ち戻ったかのような可憐な舞踏曲風のワルツで、ゴラゲのオーケストレーションは少し芝居がかりすぎていて耳に障ることもあるが、本来可愛らしい曲想の作品である。