Contents

A.トルストイ「幼年時代」によるイントロダクション

B. 本編インデックス



トルストイ「幼年時代」による
イントロダクション


まず、次の文章を読んでみてください。 

いくらこっちが子供だからといって」私は思った。「どうして安眠を妨害する んだろう?なぜ、ウォロージャのベッドの辺で蠅をたたかないんだ?ほら、あん なにたくさんいるのに!そう、ウォロージャは僕より年上だ。僕は一番小さい。 だから、僕をいじめるんだ。どうやって僕にいやがらせしようかと、年中それば かり考えているんだ」わたしはつぶやいた。「僕をたたき起してびっくりさせた ことくらい、ちゃんとわかっていながら、気づかないふりをするなんていやなやつ!あのガウンだって、帽子だって、房飾りだって、いやらしいった らありゃしない!
 わたしがカルル・イワヌ−イッチに対する憤慨をこんなふうに心の中であら わしているあいだに、彼は自分のベッドのところに行き、ベッドの上の方にかか っている、ビ−ズ刺繍をした靴型のケ−スにはいっている時計をのぞくと、蝿叩 きを釘にかけ、はた目にもわかるほどこの上ない上機嫌で、私たちの方にふりか えった。
 「さあ、子供たち、起きなさい時間ですよ。ママはもう広間ですよ」ドイツ 人特有の善良な声で叫んだあと、彼はわたしのそばへ来て、足のあたりに腰かけ 、ポケットから煙草入れを取出した。わたしは眠っているふりをした。カルル・ イワヌ−イッチはまず嗅ぎ煙草を嗅いで、鼻を拭い、指を鳴らしてから、はじめ てわたしを起しにかかった。笑いながら、わたしの踵をくすぐりはじめたのだ。 「さあ、さあ、ぐうたら坊主!」彼は言った。くすぐられるのはじつに苦手だっ たけれど、わたしはベッドからはね起きもしなければ、返事をもせず、ただ枕の 下にいっそう深く頭を隠し、力いっぱい両足をばたつかせて、笑いをこらえよう と必死の努力をした。
 「なんて気だてのいい人だろう、それに僕たちをとても好きなんだ。それなのに 僕ときたら、この人のことをあんなふうにわるく思うなんて!
 わたしは自分に対しても、カルル・イワヌ−イッチに対しても腹がたち、笑 いたいような、泣きたいような気持ちだった。神経が乱れていたのだ。「ああ、 やめてよ、カルル・イワヌ−イッチ!」わたしは目に涙をうかべて叫び、枕の下 から頭を出した。
 カルル・イワヌ−イッチはびっくりして、踵をくすぐるのをやめ、何を泣い ているのとか、何かいやな夢でも見たんじゃないのかいとか、心配そうにたずね はじめた。いかにもドイツ人らしい善良そうな顔や、涙の原因を読みとろうと努 めている誠実さが、いっそうわたしの涙をあふれさせた。恥ずかしかった。ほん の少し前まで、どうしてこのカルル・イワヌ−イッチをきらったり、ガウンや帽 子や房飾りをいやらしいと思ったりできたのか、わからなかった。いまでは、逆 に何もかもがこの上もなく親しみのあるものに思われ、房飾りさえ彼の善良さの 明白な証しに思えるのだった。わたしは彼に、いやな夢を見たので泣いているの だ、ママが死んで墓地に運ばれゆく夢を見た、と告げた。前の晩にどんな夢を見 たか、まるっきりおぼえていなかったのだから、これはみんなわたしの作り話だ った。しかし、カルル・イワヌ−イッチがわたしの話に心を打たれて、慰めたり なだめたりしはじめると、本当にそんなこわい夢を見たような気がしてきて、今 度はもう別の原因から涙が流れはじめた。
             (トルストイ「幼年時代」原卓也訳)


 これはトルストイの処女作「幼年時代」の冒頭部分である。
 この文章の中に現れる感情の急激な変化について、この作家の特質だとか子供の移ろいやすい感情を示しているのだと か、当時のロシア人の気質や趣味が反映しているのではないか等、さまざまな分 析が可能である。しかしここにひとつ非常に確からしい答えがあるそれはトルストイがおとめ座であるということだ。おとめ座の家族や恋人を持っている人ならばこのサインの持つ感情の振幅 については知っているのではないだろうか。また同時代のロシアのもう一人の巨 匠ドストエフスキーの作品にはこのような種類の感情の変化は見られない。もっ と持続的であり一点集中型である。ドストエフスキーはさそり座であった。おと め座は「変通」サインと言って、変化しやすい移り気な気質を持っている。それ に比べドストエフスキーのさそり座は「定着」サインで、同じ視点で持続してゆく気 質につながっている。
 「ビジュアル・アストロロジー」でも紹介したように、不確実性を含む愛情 関係についておとめ座は策士である。もちろん人格の優劣の問題ではない。神経 質で、現実的に確かなものをつかもうとして揺れ動いているのである。一般に彼 らが一番安心するのは、立派だが雲をつかむようなこころざしとか抽象的な思想 とかではなく、母性をくすぐるような単純素朴な誠実さである。主人公は結果的 にカルル・イワヌ−イッチに嘘をつくことになってしまうが、これもおとめ座に よくある心理状態である。
 このように西洋占星学の素晴らしいところは、あなたの日常の人々と歴史的芸術作品とを、十二種類の感性の形式によって一 直線につないでくれることである。そこには国境も文化や歴史の隔たりもない。おとめ座はいつどこ においてもおとめ座であり、他のサインもみな同様である。それというのも西洋占星学は、人を表面的共通点で結ぶのではなく、他のやり方では具体的な 形にならないいわゆる「人間性」を表す「人間の感性の形式」を提供してくれるからである。
 これはあくまで一例である。しかし芸術作品とは、本来、非感覚的な不純物 を取り除いた作者の感性を提示すべきものである。(それでなければ、作品に時 代を超えた普遍性は生まれ得ないからである。)西洋占星学が人間の内面を探求 するものであるとするならば、芸術の分野でこそ明白にならなければいけない。 そして実際、その通りなのである。
 私ははじめのうち、どうしてこのことに、多くの実力のある芸術評論家また は西洋占星学研究家の人々が気がつかないのか不思議でならなかった。が、多く の芸術評論に接するうちに答えが出てきた。世の中には芸術の好きな人は大勢い るが、芸術を自分の現実の感性と結びつけて理解している人は実は非常に少ない ということである。中でも美術などはひどい。まったくとんちんかんなことを書 いてある解説書は無数にあるといって良い。また、実際に深い理解力を持つ芸術 批評家諸氏と言えども、いまだに社会的偏見の強い「占い」の分野に誠実に対応 してくれる可能性はやはり低い。私はたまたま幸運にも、この両者を深く知る立 場に立つことができたらしい。そこで、私にできる限りにおいて、芸術と西洋占 星学という二つの分野の関係を解説してみたいと思う。そしてそれぞれの分野に おいて、私などよりもずっと、深い知識をお持ちの諸先輩方が、振り向いてくだ さればと願うばかりである。

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