占い塾



1.基礎編2(c,d)

c.サイン・チェック時の心の動き


チェック1 一般の本の利用法

 最低限の知識(1-a)と最低限の心構え(1-b)ができたら、ますは自分のサイン をチェックしてみましょう。ホロスコープをつくってすべての惑星やカスプ(室区分の境界線)のサインを知っておくのが一番なのですが、ここではまず単に太陽のサインだけで考えてみましょう。サイン解釈は太陽に始まり太陽に帰ります
 仮にあなたの太陽がふたご座だったとします。自分の性格や好きなところを考えて照らし合わせてみます。たいていの西洋占星学の本には良いことや表面的なこと,または「心理学的」と称することにしかふれていません(この問題については後で詳しく語ります)がそうした情報はそれなりに活用できますから、まずその水準で自分のサインの概念に馴れましょう。
 たとえば、あなたがある分野の学者だったとしましょう。そうすると一般的なふたご座の本の内容はおおかたはずれます。「ふたご座のあなたは、知的で洗練されているけれど、何事にも知識が広く浅く習得して済ましてしまう傾向があります。もう少し深い知識を求めましょう」とか「クールで軽薄に見られがちなので気をつけましょう」などという記述には、一度はうんざりしたことがあるかもしれません。もちろん、言葉の表面を追えばすべて間違いです。しかし、こうしたかなり貧困な表現になってしまっている事実にもそれなりの理由や事情というものがあるのですから、ここでは大目に見てあげて、それではどうしてそのようなことがいわれることになるのか考えてみてください。巷に出回っている占星学の本のほとんどが、文面通りに取ったのでは正しい情報になりません。
 しかし、一歩離れて読み、「では、どうしてこのような書かれ方になるのだろう」と考えれば情報になります。「ヴィジュアル・アストロロジー」でも書いたように、ふたご座は基本的には熱血漢です。形式感がなくエネルギーの出し惜しみをしないという点では、一般に「感情的」とされているうお座の人たちよりもさらに感情的かもしれません。では、一般の拙い表現の本ではどうしてふたご座は「クール」ということになってしまうのでしょう?解答自体はたくさんありますから、ヒントとして次のような言い方をしておきましょう。つまりこうした表現から一つたしかに言えるのは、「ふたご座は他のサインの多くの人たちから「クール」に見られる」傾向がある」ということです。
 「ではあなたはどうしているんだ」といわれそうですが、私の文では、できる限り書いている私の感じ方を直接伝え、そしてそれが「一個の肉体しか持たない上田という観察者からのデータに過ぎない」という視点を明確にしています。実は人間が表現する以上、この方法しかないし、結果的に一番情報量が多いはずなのです。ですから、この表現に馴れていない人からは「そんなに言い切れるのか」などとかなりとんちんかんな感想をもらうのですが、私からいわせれば、「言い切らなければ何も始まらない」のです。情報は観察者の切り口がいのちです。仮にこのような表現を読んで感情的になる人がいれば、端的に議論のできない人だと思われます。
 

チェック2 リストをつくりましょう

 まず最初は、友人・知人の誕生日リストをつくりましょう。太陽のサイン別に分けて、その中をさらに月のサイン別に十二に分けておくと良いでしょう(月のサインはエレメント別に「おひつじ座・しし座・・・」といった順序で記入すると便利です)。新しく会った人はその都度チェックして入れていきます。このリストは、いつも持ち運びができるメモ帳などに記入すると便利です。このリストを持ち歩くということはすなわち、簡単な天文暦も持ち歩くということです。新書版の占いの本などについている小さな天文暦を切り離して持ち歩く癖をつけましょう。私は自分流に編集した暦を西洋・東洋合わせて四種類持ち歩いています。私のアタッシュケースの中身は行き先に応じて変わりますが、この四つの暦だけはいつも入れてあります。旅行の時ももちろん持ってゆきます。そのためにも暦が小さい必要があるのです。
 時間のあるときには「TVスター名鑑」などから有名人のリストをつくったりするのもいいでしょう。これらはただ記入することが第一の目的ではありません。あれやこれやと分野別に取捨選択しながら考える時間が大切なのです。


チェック3 決して共通点を求めない

 西洋占星学で最も大事なのは、二つのサインの特徴を比較したときに、決して共通点を求めないことです。「え、それをしないと比較ができないんじゃないの?」と思われた方はよく考えてみてください。共通点を求めているレベルでは、人間にかんすることでは、必ず例外が出ます。仮にあなたが一万例のふたご座の人間の情報を分析して、たしかだと思われる共通点を見つけたとしても、1万1例目にはちがう特徴があらわれるかもしれません。占星学に限らず人間に関する研究は、必ず例外を含んでいます。すぐに例外が生じるのが人間なのです。そして、もしある情報が絶対共通項だと思ったら、それは占星学の概念としてはアウトです。(心の中で「はずれ〜」と叫んでください。)
 ここで言っている共通点とは、もちろん別々の個体どうしに共通している特徴のことですが、「ほら、あのふたご座のあの人もこうだから、私もこうなんだ」なんて、言うのも恥ずかしいと思いませんか?)、これは現実にあらわれてきた一時的なあらわれ方に過ぎません。時とともに、状況とともに、そしてそれを受け取るあなたとともに変わるのです。だから「これだけは絶対にたしかだ」とあなたが確信することがあったら、それはアウトなのです。(たとえば、「ふたご座の立てた旗はみな東北東にたなびく」というのと、まったく同じで、いわばオカルト的思考の一種です。)
 すべては、b-1で述べたあなたの「感性」にかかっています。主観全体を廃したところに共通点が見いだせるのだと考えるのは、正しくありません。感情はあってもなくても感性さえしっかりしていればどうでも良いのです。私たち観察者も一個の肉体をもった人間であるのですから、それを抜きにしたところにある「共通点」に答えがあるということは決してないのです。(そしてこれが現在までの科学の人間へのアプローチの限界でもあります。)
 では、共通点に頼らずに何に頼るのかというと、あなたが「感性」で感じるところに頼ってください。最初は間違いだらけです。でも徐々にできるようになります。あなたという一個の全人間の代表が、すべての人間に共通の情報としてあるものをどのように、個々のサインに感じ取るか、それをくみ取ってください。(つまり芸術鑑賞そのものだね。)
 くわしくは次の章をみてください。

チェック4 一つのサインにどうしても固有と思われる具体的情報があったら、徹底的に例外を探してみる。

 チェック2で述べた理由により、もしなにか固有の情報が見つかったら、死力を尽くして例外を見つけておく必要があります。特に悪い情報に関してはこのことが言えます。たとえば、あなたのかわいい女の赤ちゃんがふたご座で、一方周囲の1万人のふたご座女性がみな不倫・駆け落ちして心中を図って、かったあげくには不治の病で命を落とすといった情報があったとします。(もちろんいま考えたでたらめです。念のため。)そうしたらおそらくあなたは死力を尽くして例外を探そうとすることでしょう。そしてその例外の人にどうか健全に強く生きていってほしいと願うでしょう。占星学の研究はそこから初めて始まります。自分の家族がこんな不名誉な条件にはまればあわてて調べるのに、芸能人のゴシップなどは平気でいられるというのは、人間は悲しいものです。プラスの情報だって厳密なチェックは必要なのですが、こちらはまだ猶予の余地があります。なぜならプラスの情報は、人間の未知の可能性に直結しているからです。しかしマイナスの情報はそうはいきません。ですから例外のチェックは欠かせません。その意味で人の悲劇に対して「絶対こうなる」とか「ほーら、当たった」という占い師はしばしばかなり危ないのです。内容が当たる当たらないの問題ではありません。また道徳的問題でもありません。その人の人間に関する情報に対する知的姿勢の問題です。(ばかなんだよ。俺も含めて。)
  人間が生まれた理由は科学的にも哲学的にも答えが見つかっていません。ですから私たちは自分という存在に対して既成事実的に肯定する方向でしか思考ができません。(これがロボットなら簡単。ロボットがつくられた理由は曲がりなりにも当初は明白ですから、どこが良いと言うだけでなくどこが悪いとも冷静に判断できるし、場合によってはそのロボットは性能が悪ければ存在を否定されることもありうるのです。しかし人間はそんな風にはできていません。)
 知的姿勢とは具体的には次のようなことです。ないと思われた例外が見つかったことで、あなたははじめてその情報の輪郭線を知ることができるのです。人間に関する情報は例外を知るまでは本物ではないのです。占星学を離れて考えても、あなたの頭の中にすでにストックされている人についての情報には、大概の場合「例外」があるでしょう。だからこそあなたは、「主観はあいまいだ」とか「愛(美)は移ろいやすいものだ」とか「人を決めつけてはいけない」といった判断を普通、しているわけです。しかしこうした発想はある意味では、科学狂信時代に毒された私たちの迷妄かもしれません。共通点がなければ明言できないというのは、あなたが感性を使っていないからです。目のまで人がおぼれそうになっているときにどうして良いか解析するのは機械だけです。自分の立場からどうするべきかは即座に決定されます。「感性」とはそういうものです。(私自身は、主観はあいまいだとも、愛や美が移ろいやすいものだとも、自分の立場から相手がどういう人は決定できないとも思ったことはありません。これは別に会った人をきめつけているということではありません。相手に対してどう感じたらいいかわかるというのは、豊かな文化の中に暮らしている我々の自然な姿のはずです。)だから、この私たちの「感性」をおかし、誰にでも共通の定型的鋳型にはめこもうとする「共通点」に対してはつねに警戒の目を光らせていなければいけないし、そうでなければ知的人間として不安なはずです。占星学の分類はこうしたものとはまったく異なります。
 だからこそ、占星学は科学でも心理学でもありません。ましてやユング心理学との共通点などまったくありません。(こうした分野との関係を調べることは試みとしては無意味なことではありません−−念のため。ただし、こうした研究分野によって占星学が肯定されたり証明されたりすると考えるなら本末転倒だということです。)観察の立場・態度が根本的にちがうということをご理解下さい。

チェック5 自分をチェック 

 自分に自分は見えません。逆に言えば、自分に見えているもの・感ぜられるものはすべて自分の一部だとも言えます。ですから、あなたは自分がふたご座ならふたご座であることを強く意識しなければいけません。それは得意になることでも卑下することでもありません。(逆に言えば、得意になってみるのも卑下してみるのも、また、いいでしょう。)まずポジションを確認することです。自分のホロスコープは何度も見ましょう。また、チェック2でつくったリストと見比べて、自分のホロスコープのどことつながっているかを考えてみるのもいいでしょう。
 自分のホロスコープを中央に書いた大きな紙のまわりに人間や物事、そして出来事の種類や時間をひたすら書き込んでゆきます。
このとき対応させるのは、サインと年月日に関することだけでいいです。たとえばあなたの出生図で第五室に双子座があれば、そこに双子座の人物や、5月から6月に起こったことを書き込んでおきましょう。しかし、家庭でのトラブルが起きたからといって、家庭の室である第四室に書き込む必要はとりあえずありません。(それは別の影響から起きていることがあるからです。)非常に強くひらめいたときには書き込んでおいてもいいでしょうけれど。
 こうして、あなたのホロスコープを中心にしたマンダラのような図ができます。最初のうちは結構役に立ちます。

 

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