1.三拍子のアダモ
2.「沈黙のメロディー、雄弁な詩」(予定)

「三拍子のアダモ」
----1961−1980年のアダモ作品の三拍子作品について
                                                                     上田享矢

 アダモ作品評論の一つとして、アダモの三拍子の曲の分析を試みたい。ここで言う三拍子曲とは典型的な三拍子であるワルツ形式の曲に始まり八分の六拍子なども含む。八分の六拍子は、たとえば「いとしのパオラ」などのようにリズムがなだらかに「タ・タ・タ・タ・タ・タ」と六つの音符のひとつながりで一小節またはひとまとまりをつくっている形式である。


[年代分布]

1961−1980年の間にフランスまたは日本で発表された三拍子曲は次の通り。

[1961] PERCHE (ペルケ)


[1962] SI J'OSAIS (もし打ち明けられたら)


[1963] N'EST-CE PAS MERVEILLEUX ? (恋はすばらしく)[1964] TOMBE LA NEIGE (雪が降るー後半), J'AI PAS D'MANDE LA VIE (はかなきこの世ー前半), LA NUIT (夜のメロディー), BALLADE A LA PLUIE (雨のバラード), LES FILLES DU BORD DE MER (浜辺の娘), DOLCE PAOLA (いとしのパオラ)、LE BARBU SANS BARBE (1) (ひげのないひげ男―1)、MA CHAMBRETTE、 (僕の部屋), NICOLE, MARIE (ニコール・マリー), IL N'EST PAS FOU(1)(のんきな男),


[1965] VIENS, MA BRUNE (君わが胸に), CHANSON EN RONDELLES (輪のシャンソン), COMME TOUJOUR (いつでもそうさ), CEUX QUE J'AIME (愛する人たち), ET APRES (エ・アプレ)

[1966] ELLE ETAIT BELLE POURTANT (美しかったあの娘), TON NOM (君の名), QUE LE TEMPS S'ARRETE (時の流れを), JE VOUS OFFRE (遠い夢の中で)


[1967] NOTRE ROMAN (二人のロマン), ON SE BAT TOUJOURS QUELQUE PART (戦火はるかに), DANS MA HOTTE (恋のリュックサック), DIS, MA MUSE (詩の女神), L'AMOUR TE RESSEMBL (愛は君のよう)

[1968] IL N'EST PAS FOU(2)(彼は馬鹿じゃない), LE RUISSEAU DE MON ENFANCE (想い出の小川), VALSE D'ETE (愛のワルツ), PAUVRE VERLAINE (哀れなヴェルレーヌ)

[1969] AU PIED D'UN ARBRE MORT (枯れ木の下で), SI LE CIEL EST AMOUREUX DE TOI (空が君を恋したら)

[1970] NE TE PRENDS PAS POUR CENDRILLON (君はシンデレラじゃない), ALORS, REVIENS-MOI (さあ、帰っておいで)

[1971] (なし)

[1972] PATRON (旦那様), MON PAYS (我が故郷), YURIKO (ユリコ)

[1973] (なし)

[1974] (なし) [1975] LE TEMPS DANS UNE BOUTEILLE (A Jim Croce) (時の瓶詰)

[1976] (なし)

[1977] LES ENFANTS ET LE TEMPS (子供と時)

[1978] (なし)

[1979] LES BLEUS DE MONTREAL(モントリオール・ブルース), MARIAGE (結婚)

[1980] (なし)

  このリストは基本的には発表順の羅列である。ただし「エ・アプレ」はアダモ自身の歌唱では1970年発表だが、1965年頃に他のアーティストのために書かれ発表されているので1965年のリストの最後に,入れてある。 また「ユリコ」は1973年に日本でシングル盤になったが、1972年にはステージで発表されていた記録があるので1972年に入れてある。さらに「ふたりの恋」は途中からバックのキーボードが八分の六拍子風のリズムを刻みはじめるが、曲は四分の四拍子で書かれていると考えられるのでここでは取りあげない。

一見して、67年頃をピークにして急激に減少しているのがわかるが、実際に他の拍子の曲との割合はどうなのであろう。フランスと日本で各年に発表された作品数は次の通り。次のリストの西暦の後最初の数字が三拍子曲の数、後の数字が全作品数である。

[1961] 1/2    [1962]  1/6    [1963] 1/8    [1964] 10/21    [1965] 5/8 (*1)    [1966] 5/19(*2)  [1967] 5/15   [1968] 3/11    [1969] 2/16   [1970] 2/12    [1971] 0/18      [1972] 3/14  [1973] 0/18   [1974] 0/2 [1975] 1/18    [1976] 0/10    [1977] 1/16     [1978] 0/6  [1979] 2/12   [1980] 0/4    [1961-80] 41/236

*1 LE BARBU SANS BARBE (ひげのないひげ男)は三拍子と四拍子の二種類のテイクが発表されている。ここでは三拍子の方の1964年の先発テイクを、曲名のあとに(1)と番号をふって数えてある。もし仮に二つ目のテイク(65年スタジオおよびオランピア’65)のものを別作品ととらえ計算に入れれば1965年は5/9と計算することもできる。

*2 1966年と1968年にはそれぞれ、IL N'EST PAS FOUが違うテイクで発表され、日本語名では(のんきな男)および(彼は馬鹿じゃない)と別名になっているが、拍子は変わらないため1966年作品として一曲として換算してある。

  この一覧からわかるようにデビューから1968年頃までは、三拍子の曲の数は、一曲または全曲数の約三分の一前後のペースを保っていた。少なくとも一曲も書かないということはなかった。特に1964年発表作品では10作品も生まれ、1965年における比率は飛び抜けて高い。1969年以降は三拍子の曲数は減少し、1971年や73年などはそれぞれ18曲中一曲もない。これはアダモの創作の態度と密接に関係していると思われるが、このことについては後に述べる。


[分類]

まずは分類である。もちろん、優れた作曲家の作品の構造はその作曲家の成長とともに成長し、しだいに単純な分類では割り切れないものになってゆく。68年以降の作品にはこの性格は強くなってくるので、ここでの分類は、アダモの初期にのみよく当てはまるもので、作品分析のための便宜上の区分であるとご理解いただきたい。

(1)アダモが初期作品で得意とした、長調の典型的な八分の六拍子のバラード・ソング

 (2)シチリア民謡の情趣を感じさせる、短調の歌謡的な八分の六拍子バラード

(3)激しい感情を吐露するために八分の六拍子を活用したもの

  (4)四分の四拍子の一拍に三拍を詰め込んだような短調の速い調子の作風

(5)(4)と同様の速いリズムだが長調のもの

(6)速いテンポの短調のワルツ曲

(7)速いテンポの長調のワルツ曲

(8)典型的なワルツ曲

以降この分類にそって分析を試みたい。


[分析]

 古典音楽における三拍子曲とは「ワルツ」に代表されるように、本来舞踏の用途・および概念が強かった。ショパンの「ワルツ」作品などのように実際には舞踏に使われることがないものも、作曲者の嗜好に応じてそのような名前が使われている。著しいものは交響曲の中間の楽章に使われることが多い「メヌエット」または「スケルツォ」と呼ばれる形式だろう。前者は優雅な三拍子であり、後者はベートーヴェンが取り入れたことで一般化した非常に速い形式の三拍子である。両者ともスケールの大きい交響曲作品において幕間の気分転換のような役割を果たすことが多い。三拍子の一般に攻撃的というよりは優雅な流れは、現代ポピュラー音楽においても変わらない。このような性質はアダモ作品においてどのように反映しているのだろうか。そのような疑問を含めて、三拍子という共通点を持つ作品群を通してアダモ作品全体のあり方を分析してみたい。

(1)アダモが初期作品で得意とした、長調の典型的な八分の六拍子のバラード・ソング (11/41)


---- PERCHE (ペルケ)、N'EST-CE PAS MERVEILLEUX ? (恋はすばらしく)、DOLCE PAOLA (いとしのパオラ)、COMME TOUJOUR (いつでもそうさ)、TON NOM (君の名)、ET APRES (エ・アプレ)、QUE LE TEMPS S'ARRETE (時の流れを)、NOTRE ROMAN (二人のロマン)、L'AMOUR TE RESSEMBL (愛は君のよう)、SI LE CIEL EST AMOUREUX DE TOI (空が君を恋したら)、ALORS, REVIENS-MOI (さあ、帰っておいで)

 この分野の曲は、アダモの詠嘆的な歌唱の感性が非常に生かされた分野で、彼の最初のデビュー曲がこの分野に当たる「ペルケ」であったことからもわかる。自作自演のアーティストであれば皆そうだが、デビューしたての若きアダモも並々ならぬ思い入れがあったことだろう。しかしながら、1966年頃までの作品はまだアダモ作品にしては技術的に安易である。八分の六拍子にそのまま音譜を載せ、豊かな余韻を保ちながらもとぎれとぎれに進んでゆくメロディーが特徴である。このとぎれる旋律という特徴は1965年までの作品ではなんと全部共通している。
 こうした作風はアダモの旋律に対する持続的なエネルギー感が強まるにつれ希薄になっていったが、その集大成的な曲が「愛は君のよう」である。この曲の発表された67年当時、アダモ作品は音楽的に大きな飛躍期を迎えていた。その代表が長調における「二人のロマン」、短調における「アンサンブル」だったが、この「愛は君のよう」は初期作品同様「とぎれる旋律」を持つというそれまでのアダモの曲調で始まりながらも、「二人のロマン」と聴き間違うような67年作品ならではの優雅なストリングスと美しいメロディーを持ち、しかも以前の作品ではあり得なかったような壮大な展開をする。
「ペルケ」から「君の名」に至る作品の中では、アダモは「いつでもそうさ」と「君の名」をそれぞれ二度オリジナルとは別のレコード会社で録音し直している。他に再録されてもおかしくない豊富なヒット曲をさしおいてこれら比較的知名度の低い二曲を過去のリストから取り上げたということはこれはあきらかにアダモ自身の嗜好の表れであると考えられる。


 「エ・アプレ」は先に書いたように、発表は70年だが作風は明らかにかなり前である。日本では「アダモ70」というタイトルで発表になった第五枚目のスタジオ盤の終曲であるこの曲を聴いたとき、違和感を持った人も多かったであろう。作風というか、音楽的内容が明らかに初期のものであり、他の曲と同時期につくられたものだとはとうてい思えなかったが、日本盤の解説を読み納得した。この作品は70年の作品とするにはあまりに素朴である。音楽の流れがまだアダモ独特の雄渾な個性を持っていず、どこかこぢんまりとまとまっている。熱唱の性質が少ないという特徴づけもできるだろうが、それ以上に外部に向かって旋律が新しいものを目指し広がってゆくような性格が弱いのである。しかしこの曲は成熟期のアダモの作品中にあって堅実な地位を築いている。決して欠点があるといった種類の作品ではない。


 アダモの才能にとって67年はまさに画期的な飛躍期だった。1967年初頭発売のオランピア盤における「アンサンブル」はアダモの声がはじめて一般の意味での人間の声の表現力を超え、真に器楽的な意味での音楽性までをも取り込んだ一瞬だった。この曲におけるアダモの絶唱はその表現の深さにおいてたしかに「声」を超えていた。「声」を超えたところになにがあったのかというとやはりそこにも声があったのだが、この新しい歌声はオランピアのすべての弦楽器・管楽器を統率し、最後には女声バック・コーラスをもしたがえ、壮大な悲劇を再現しつつ、曲の最後のカタストロフに向けて悠々と凱旋した。これ以前の作品にももちろん強力なドラマ性はあったのだが、単独の音の深みにおいて「アンサンブル」に比肩するものはない。「インシャラー」「傷だらけの心」といった有名曲も、この曲の前ではどこか説明口調だったり、詠嘆調であったりして、「アンサンブル」ほどははじけていない。アダモのオランピア収録作品にはよくあることだが、この曲においても後に発表されたスタジオ盤よりもこちらの方が優れている。決定的なのは、最後の女声コーラスがあることによっているが、それ以外でも緊張感はオランピア盤の方がずっと上である。


こうしてアダモの絶唱的性格が完全に昇華した後に誕生したのが「二人のロマン」だった。この曲は1967年5月29日に本国で発売になっているが、4曲入りのスーパー45回転盤におさめられた次の曲が先の「アンサンブル」のスタジオ盤であり、残りの二曲もここでとりあげている「戦火はるかに」と「恋のリュックサック」である。それまでの曲と比較していただければ一目瞭然であるが、この曲は歌い出しからエネルギーが全く違う。これまでの素朴で時には恥じらいがちな作風は身をひそめ、自分の歌声を完全に芸術表現の武器として身につけた大芸術家としての矜持に満ちた壮大な表現形式になっている。曲は最初から終わりの一瞬まで非常な精神的高揚のうちに進行し、よどむところは全くない。聞き手はあたかも曲が最後まで一続きのメロディーでできあがっているような錯覚さえおぼえる。そして私たちはストリングスのあり方がオランピア盤の「アンサンブル」とこの「二人のロマン」以降、まったく変わってしまったことにも気がつくだろう。すでにストリングスは人気アーティストを彩るデコレーションではない。激しい情熱を持つ一個の芸術家を支え、その力に引きずられてゆくしもべに変わったのである。叫びが真の芸術になる。このことが実は人々が一般に思っている以上に絶倫の才能を必要とすることに私たちは気づかされるのだ。(実際、現在すでに街角のどこでも聴くことができる無邪気な若者たちの絶叫音楽は、そんな風に夢中に絶叫すれば情熱的な叫びになると錯覚している若い魂たちの迷いそのままの姿である。本当に叫びが音楽となっている芸術にいつまで気がつかないでいるのだろうか。)完成した作品。最後の一声の歌い出しとストリングスの微妙なずれまでもがこれ以外のあり方ではあり得ないというほどにすばらしい。


 「二人のロマン」という高い峰を体験した後、私たちは再びそれを上回る傑作に出会うことになる。それが「空が君を恋したら」である。この曲は「二人のロマン」よりもさらにダイナミックな性質を備えている。アレンジは多彩で象徴に満ちあふれ、何かに酔いしれたような高揚というよりは、さらに動的で男性的である。この曲のタイムは三分ちょうどであるが時間はあっという間にすぎる。中間部は短調に変わる。その一瞬一瞬の変化が息をのむように進行し、ともすればごてごてになりがちなこの種のアレンジを克服している。ピアノ、女声、ストリングスといった音が代わる代わる顔を出すが、それらはアダモ作品の多様な象徴性の枝葉となってのびてゆく。アダモの歌声は彼らすべてをひきつれて飛翔する。たとえば、ストリングス。これはたしかに「空」である。それは、人間の心に潜むちっぽけな思惑と関係ないところでまっすぐに広がってゆく。そして最終部分では、アダモの歌声自体と対照するメロディーをかなで、対位法的に展開する。また、(技法自体は平凡で、よくあるものであるはずの)最終コーラスの半音上昇による繰り返しは激烈な効果を生む。それは魂の高揚が必然的に要求している変化なのだ。(――私はよくビートルズ・ファンの若者にジョン・レノンの名曲「ウーマン」と比較対照して聴かせることがある。というのも、この二作品は作品の質もこの上ないほど高く、曲調も異言語文化圏の音楽作品同士としては共通点がある。そして最後の半音移動まで同じなので、ジョン・レノンとアダモの個性の違いの説明の上でおもしろいのだ。しかし、アダモ作品のような激烈な効果はジョン・レノン作品にはありえない。)曲調は、「二人のロマン」のプライドに比較すれば、こちらの方がリラックスしている。そして、聞き手のみなさんは、この曲の三拍子性についてどのように意識されたであろうか。実はこの曲もまた非常に優雅な三拍子なのである。これは歌声である。しかしまたこれは十分にワルツなのである。

この分野の最後の作品も私たちを驚かせるに足る作品である。「さあ、帰っておいで」は一見のんびりとした作風だが、音楽性は非常に高い。聞き手は決してこの曲を侮ってはいけない。特に曲調が展開してからの多彩な表情の変化とそのコントロールは、この曲もまた、ここであげた前二作に勝るとも劣らないものだということを証明している。作曲はあまりにうまい。すべてにそつがなくメロディーの変化は何気ないふりをしながら最大の効果を生むように仕組まれている。この曲もまた、一つの文化の気分をまとめて内包したような、あまりに豊かな作品である。このころのアダモの作品は常に新しいものほど音楽的な情報量が多く、加速度的に充実しているといっても過言ではない。この作品と彼のそれ以前のどのようなバラードと比較しても、こちらが劣るということがあるだろうか?――それは決してあり得ない。あるのはすでに作品の個性の違いだけである。


(2)シチリア民謡の情趣を感じさせる、短調の歌謡的な八分の六拍子バラード (9/41)
---- J'AI PAS D'MANDE LA VIE (はかなきこの世ー前半)、BALLADE A LA PLUIE (雨のバラード)、VIENS, MA BRUNE (君わが胸に)、MA CHAMBRETTE (僕の部屋)、NICOLE, MARIE (ニコール・マリー)、ELLE ETAIT BELLE POURTANT (美しかったあの娘)、DIS, MA MUSE (詩の女神)、PAUVRE VERLAINE (哀れなヴェルレーヌ)、NE TE PRENDS PAS POUR CENDRILLON (君はシンデレラじゃない)

 アダモの初期作品のルーツの一つは、彼が生まれ育ったシチリアの民謡にある。生ギターを伴奏にした憂愁を帯びた短調のメロディーを持つ歌である。アダモの作品全体を見渡しても、初期ほど短調作品の占める割合は多い。たとえばデビューアルバムにおいて長調作品と短調作品の割合は12曲中5対7だが、1979年発表の「哀れな自由」では同じ12曲中10対2である。その他のアルバムも多少の差はあれこれに準じている。この事実は、アダモという作曲家が初期の民謡的な影響から徐々に脱してゆく様を表しているものだと考えることができる。三拍子系の作品に限らずとも、アダモの作品には憂鬱な気分を反映した傑作が多い。当時すでに若者文化の主流になっていた英米のロックンロールの陽性の気質とはかなり違うものである。アダモ自身がこれらの流行に合わせて書いたと思われる作品群は、それが特に英語で書かれたものになると傑作は少なくなる。アダモの才能は当時のロックンロール・ブームをどこかで体質的に拒絶していた。彼の作品の歌詞は、ついていないふられ男の独白が多く、その傾向は66年までは強力に続いている。明るいナンパ口調のものは非常に少ない。そして67年以降は先の「二人のロマン」に代表されるような愛の気高さを讃える詩風からさらにアダモならではの女性を優しく包み込むような詩風へと変わってゆく。こうした流れの最初期の短調の曲調がこのシチリア民謡風の曲調と一致したわけである。


 これらの曲においても1967年を境にアダモの語りかけの姿勢は変化する。上記の「美しかったあの娘」と「詩の女神」の間にその分割線がある。先に述べた不運で憂鬱な青年の独白の調子は影を潜め、詩風は客観的な性格が強くなっている。また作風が酷似しているという意味で新旧の好対照をなしているのが「美しかったあの娘」と「君はシンデレラじゃない」であろう。両曲とも中間で次の語りへと移行する一種の間がある。特に「美しかったあの娘」ではそれがオルガンの間奏によってはっきりと隔てられている。「君はシンデレラじゃない」では、すでにリズムは完全に整頓され、形式を備えている。「美しかったあの娘」は青春の切迫した感情が胸に迫ってくる初期の傑作曲の一つだが、一方「君はシンデレラじゃない」は技術的にはより手際よくつくられている。両者を聴き比べるとアダモが初期の完全に私小説的な世界から脱皮してゆく様がよくわかる。

(3)激しい感情を吐露するために八分の六拍子を活用したもの (3/41)

―― TOMBE LA NEIGE (雪が降るー後半)、LA NUIT (夜のメロディー)、JE VOUS OFFRE (遠い夢の中で)

 形式的には(2)と似ているが、曲想がかなり違うのでそれらをここにまとめた。大ヒット曲の「雪が降る」の後半部と「夜のメロディー」は三拍子分類という視点からは、かなり異質である。「遠い夢の中で」は冒頭部分は切々とした「動」というよりは「静」のメロディーだが、後半部の劇的な性格と直接つながった導入の役割をしていて、この冒頭部分だけを切り取って(2)に分類することはできない。この作品においてアダモは激しい内面の吐露を前提とした感情の流れを最初から意識している。


「雪が降る」の後半部はアダモの激白調が三拍子に活かされた非常にはっきりとした例である。この曲は最初は四拍子でそれから三拍子へと突入して激化するのだが、面白いことに次のアルバム中でこのリストでは(2)に区分されている「はかなきこの世」は最初が三拍子でそれから四拍子へと変わるという、ちょうど「雪が降る」と逆のパターンを持っている。しかし、こちらは後半部は人生を嘆く発作的な激情であり、聴き手に真正面から強く訴えかける性質のものではなく、その点では聴き手を求心的に巻き込んでゆくエネルギー感は比較的弱い。「雪が降る」のなだれ込むように激しく、その意味で自然な移行に比較すると、こちらの二つのメロディ^の接点はあたかもスイッチを切り替えたかのような感がある。(また、「雪が降る」同様に、四拍子から三拍子への移行が行われた作品にはずっと後1977年の「子供と時」がある。これはまた、なんという変化だろう。この芸術家としての穏やかな成長ぶりもアダモの魅力をよく示すものである。英語文化圏を中心とするアダモと同年代のロック・アーティストたちが、その音楽的な資質(というか嗜好)から「生涯現役」「生涯若者」「生涯攻撃的」といったポリシーを標榜し、それが一つのジレンマになっている事実とは好対照をなしている。この点ではアダモは彼らよりずっと「大人」のアーティストなのである。)

「雪が降る」でやむにやまれず旋律を三拍子に切り替えたアダモは次のアルバムの冒頭ではさらに直截に最初から三拍子で激白する。それが傑作「夜のメロディー」である。ここではすでに「雪が降る」で聴かれたような詠嘆の余裕はない。ずっとダイレクトに感情の中心部に切り込んでくる。不思議なことに、アダモはこの後三拍子でこうした傾向の曲を書くことはなくなってしまう。四拍子の方がずっと使いやすいのだろうか。このような曲調の作品がなくなったわけではない。たとえば先に挙げた「子供と時」と同じアルバムに入っている「青春の歌」にしても、あたかも彼がシチリアの情趣を彼のその当時のポジションから思い出したかのような傑作だが、やはり四拍子である。


(4)四分の四拍子の一拍に三拍を詰め込んだような口調の、短調の速い調子の作風 (4/41)

---- SI J'OSAIS (もし打ち明けられたら)、LE BARBU SANS BARBE (1) (ひげのないひげ男―1)、CEUX QUE J'AIME (愛する人たち)、ON SE BAT TOUJOURS QUELQUE PART (戦火はるかに)


この分野は(2)の分野の曲調がさらに速い語りの口調であった場合のものだといえるだろう。(ここで言う「速い」とは単にメトロノーム上で速いということを意味するとは限らない。メロディーが持つ強勢の数・位置に代表される、バラード的でない語りのペースのことをも意味している。)「もし打ち明けられたなら」は「もし僕が母に対するように君に打ち明けられるなら、・・・僕は君に言うだろう、君が必要なのだ」という告白の歌である。(2)の作品群の歌詞の主流をなす陶酔調または詠嘆調とは違ったものだ。

意識的な主張の音楽形式、これはやはり本来四拍子作品に適したものなのだろうか。「親切を仇で返し、恋人を連れ去った男を知らないか」と歌う「ひげのないひげ男」は景気のよいブラス・セクションも華やかな四拍子のバージョンがよく知られるが、元々は前年に素朴な生ギター伴奏の三拍子曲として発表された。翌年のオランピアの際にはすでに四拍子に変えているところから考えても、アダモは四拍子形式の方が曲想にあうと判断したのだろう。特に作曲者がボーカリストであるアダモのような立場の場合、歌詞のアクセントをどのように打ち出して歌えるかということは常に意識している課題であろうから、そのような視点からも四拍子に変更されたのだろうということはよくうかがえる。才気と皮肉・諧謔味に満ちたこうした詩風は、後には「オランピア’71」の「人生模様」や「オランピア’77」の「ルイーズ」といった作品に受け継がれてゆくのだが、これらの曲のリズムを聴いてもわかるように、明らかに三拍子的な感情形式とは異なるものである。

 「愛する人たち」と「戦火はるかに」は曲想的には非常に似通っている。どちらも詠嘆というよりは自分の意見を主張として打ち出そうというアクセントがおかれたリズムを持つ。前者は自分の周囲の生活のことを歌う内容、後者は戦争に出かける友との対話形式である。ここにあげた四曲いずれもが、音楽的にアダモの作品としては高い水準に達しているとは言い難い。アダモの感情表現としてこの形式は1967年を境に消えていった。

(5)(4)と同様の速いリズムだが長調のもの (2/41)

---- LE RUISSEAU DE MON ENFANCE (想い出の小川)、 MARIAGE (結婚)

 これらの六分の八拍子曲は、「タ・タ・タ・タ・タ・タ」という六つのリズムの上にきれいに音符が並べられているところが必ずあるのだが、そのような特徴を持つ長調曲をアダモは二曲書いている。一つは美しい佳曲でありもう一つは大変な傑作である。

 「想い出の小川」は、素朴だがやはり語りかけの口調を持った作品である。私はかつてこの曲をあまり評価していなかった。小刻みなリズムはどうしても「二人のロマン」のような雄大なスケールにはつながらないし、聴き手が浸るという内容とも少し違う。しかし少し後になって、このハーモニカが表すメロディーがこの曲の背後にある感性を雄弁に物語っていることに気がついた。この作品にはディオニュソス的というよりはアポロン的な晴朗な美があり、過去の情景を語るアダモはそれを八分の六拍子の中でもこのコンパクトなリズム形式の中に閉じこめているのだ。情景は過去のものであり隔離されたものである。語り手の現在の朗々たる意気を表明するものではない。その点では内容と形式はぴたりと一致しているのだ。その点で他のバラードとは別種の静的な美しさを持つ曲である。

 1979年に発表された「結婚」は、数多いアダモの最高傑作の一つである。曲想的に連想するのは晩年のモーツァルト作品である。(逆に、アダモは好きだが、これからクラシックを聴いてみたいという人はモーツァルトの晩年はこの「結婚」のような美だと思えば遠くない。)しかし、モーツァルトの場合には、どこか美にとりつかれたような弱々しさがありしばしば病的なものすら感じさせるのに、アダモの場合は完全に理知的に認識されていて、力強い。それが結婚に象徴される愛のはかなさ・切なさを歌う歌詞になり、非常に高い次元の境地に達している。この曲は痛々しいほど切なく美しく、すでに意志や欲望はなりを潜め人生を静観する知的な芸術家の世界がそこにある。こうした曲想を第一級の詩にする事ができたということもまた驚異である。それは、光と印象だけでできあがったような曲自体の清冽な感性と完全に一致している。この曲に関しては三拍子という視点からの分析は私にとっては不可能である。曲自体の構造上のグレードが高すぎて、一般の拍子分類的な解説は不能になってしまうからだ。あえていえば、このリズムはこの曲の出だしでは非常に可愛らしい印象である。また、可愛らしい存在を優しく見守る視点だといってもいいかもしれない。この点では「想い出の小川」と同様の視点を確かに持っている。かつては自分の幼い日の回想だったリズムを、今回は若者たちへのいたわりの目へと変えているのだ。たしかに両作品とも動的というより静的である。しかし、この「結婚」においては曲は決して同じ調子では続かない。テーマとしては一つの情景を私たち聴き手に与えながらも、まさに四小節ごとに対象との感情の角度を変え、曲は深化してゆく。(これは「想い出の小川」と比較しても、飛躍的な情報量の増大である。)そして完璧すぎるくらい見事に歌いこまれ、最後のリフレインは痛々しいほどの切なさを----「切なさ」という言葉自体が軽く感じられてしまうくらい強く----感じさせるのだ。

 この分類分野の作品は、79年にまったく意外な形で名作を生みだした。これはアダモが必要なときにはもっとも適切なリズム形式を無意識に選び出す本能と形式感を持った芸術家であることを如実に物語っている。

(6)速いテンポの短調のワルツ曲 (5/41)

---- LES FILLES DU BORD DE MER (浜辺の娘)、CHANSON EN RONDELLES (輪のシャンソン)、DANS MA HOTTE (恋のリュックサック)、LE TEMPS DANS UNE BOUTEILLE (A Jim Croce) (時の瓶詰)、LES BLEUS DE MONTREAL(モントリオール・ブルース)

  ここからの作品は曲がりなりにも四分の三拍子と呼べる形式のもので、三音中第一音に強勢のおかれたいわゆる「ズン・チャッ・チャッ」という形式を持っている。

 「浜辺の娘」は様々な意味で流行歌である。このような曲は一曲存在して価値があるが、それ以上でもそれ以下でもないだろう。ある種のフォーク・ソングだともいえるかもしれない。

「輪のシャンソン」は先の「ひげのないひげ男」同様の皮肉と風刺のきいた歌詞を持つ作品で、「アリーヌの歌」「哀しみのマルレーヌ」や先に例に挙げた「ルイーズ」といった作品の流れとは、歌詞が女性を扱っているという類似性からして、この曲の方が直系かもしれない。(それにしても「輪のシャンソン」から「アリーヌの歌」に至るまでにアダモはなんと巨大に成長したことだろう!) 「輪のシャンソン」は日本では「オランピア’65」のライヴ盤でしかきくことができないが、このアルバムは12曲中6曲が三拍子のリズムを持っており、それによって一つの個性が決定づけられている。それはギターを片手に聴衆に歌いかける若い吟遊詩人(そして時には大道芸人)のイメージであり、音楽的には少々古風なイメージである。

 「恋のリュックサック」は(2)の形式の速度が上がったものである。また「浜辺の娘」に近い流れだともいえるだろう。メロディアスではあるが、古風な表現形式であり、先にこの形式を認めないと作品の内部に入り込めないところなども「浜辺の娘」的である。

 先の三曲の後、時代は1975年に飛躍する。すでに前三曲との曲想の共通点はない。「時の瓶詰」は、1971年の「ほろ苦い乾杯」を連想させる渋みのきいた佳曲であり、聴き手に余分な想像力を要求しないという点が長所であると同時に欠点ともなっているような作品である。曲は淡々と進行し、メロディーによるイメージ喚起は最小限に抑えられ、聴き手は歌詞に集中する。鑑賞者にそのような思い入れを要求する曲である。

 「モントリオール・ブルース」は1973年のアルバム「夢の世界」における「アリーヌの歌」やその後の「哀しみのマルレーヌ」のようにしばしばアルバムに挿入される才気と風刺に富んだ大曲の流れである。ただしそれらの曲の中では唯一の三拍子曲のため多少もたついたような印象を与える。曲の傷になっているというほどではないが、大成功というわけでもない。リズムは激しくしばしば乱暴である。これは必ずしもアダモ的であるとはいえないだろう。また、「アリーヌの歌」にしてもこの曲にしてもカナダの街の名が登場する。アダモはカナダに対して特定のイメージを持っているようである。

(7)速いテンポで諧謔味のある長調のワルツ曲 (3/41)

---- IL N'EST PAS FOU(1)(2)(のんきな男/彼は馬鹿じゃない) 、PATRON (旦那様)


 「のんきな男」(彼は馬鹿じゃない)は、「ひげのないひげ男」同様、1964年に生ギター中心のアレンジのテイクが発表された後に、リアレンジされている。こちらはどちらも三拍子であり、表情豊かな作品に仕上がっている。間奏部のオーケストレーションも成功しアダモのワルツ曲の豊かさを強調している。この作品の流れをまさにそのまま受け継ぐのが1972年のアルバム「愛が帰るとき」におさめられた「旦那様」で、こうした諧謔味のある曲は、単にシリアスでないという理由で軽視されがちだが、この作品は成功作である。メロディーは豊かで三拍子のリズムは非常によく活かされている点でも「彼は馬鹿じゃない」に似ている。三拍子のリズムの一つ一つにメロディーを押しつけるかのように歌う調子はアダモの才能の特質の一つで、効果的である。こうした表現は生ギター中心の「のんきな男」のようなやり方ではたしかに不足しがちになる。


(8)典型的なワルツ曲 (4/41)
---- VALSE D'ETE (愛のワルツ)、 AU PIED D'UN ARBRE MORT (枯れ木の下で)、MON PAYS (我が故郷)、YURIKO (ユリコ) 、 LES ENFANTS ET LE TEMPS (子供と時―後半)

 1980年までのアダモの作品中本人が唯一自ら「ワルツ」と名付けているのがこの作品である。非常に美しい豊かなワルツで、長い間聴いていると、この美しさには虚ろさがあるのではという思いが一瞬頭をよぎったこともあるが、それはメロディーの性質に注視しすぎたための錯覚であったと思い直すことになる。アダモの詩の世界では、「夏」は概念である。1969年発表の「ウィ、ラ・メール」に象徴的なように、歌詞の中に「春」「夏」という言葉は頻繁に登場するが、「秋」「冬」という言葉はほとんど現れない。アダモはあるインタビューで四季の中では春が一番好きだと言っていたが、反対に考えてアダモは本質的に秋・冬の芸術家であるといえるのではないだろうか。秋と冬は彼にとって自分の周囲の環境なので語る必要がない。語るとすれば「枯れ木」などのように自分の身近にある冬の具体的な風物を語るのである。一方、春と夏ははかなく過ぎゆく季節であり、それゆえ彼はかなたの春と夏にあこがれ、その時「夏は・・・」「春の・・・」といった具合に季節の名前が概念化されて使われるのである。「愛のワルツ」はこうしたアダモの夏への感情の結晶である。作品世界は閉じている。夏は環境として詩人の傍らにあるものではなく、遠く回想するかまたは閉じた概念の世界で理想化され追想されるのだ。(こうしたアダモの特質から考えると、オランピアが真冬に開かれているということは、彼の音楽作品としての「オランピア」盤のムードをつくっているという点で、プラスにはなっても決してマイナスということはなかったであろう。

 「愛のワルツ」とほぼ同時期につくられ、この概念的な意味で好対照をなしているのが、冬の歌である「枯れ木の下で」である。これも素晴らしい、詩情あふれる傑作で、この「オランピア’69」というアルバムの作品世界は一曲目からではなく二曲目のこの曲から始まるのだと思わせる。この曲では、前年あたりから顕著になったアダモの「短調から長調への同主調の移行」というパターンが使われている。これはたとえばこの曲ならCm(Cマイナー)からC(Cメジャー)への移行である。曲の途中からパッと明るくなったような表情を与えるあのアダモのパターンである。このパターンは1971年のオランピア盤ではさらに多用され、12曲中5曲までがこの手法で書かれている。多少ワン・パターンの印象を与えかねない場合もあるが、この「枯れ木の下で」に限らず大抵の場合成功している。1969年のオランピアは他の作品にない強烈なムードを持つという点でも傑作アルバムである。私はこのオランピアを実際に体験した人を心の底からうらやましく思う。このオランピアに感動した人は世界最高の幸せ者である。(一方、このオランピアを体験したのに感動しなかった人はある意味でかなり不運かもしれない。)この作品は実際にはここに分類するにはテンポが速すぎる。語り口もむしろ(6)か(7)に属するのかもしれないが、アダモが描こうとしている作品世界の質から考えてここに区分した。

 「我が故郷」は正当な三拍子曲だが、例の同主調移行のパターンが使われている。これは双生児的作品である「ユリコ」でも同じである。この二つの曲は非常に似ている。それぞれのコーラスの前半と後半をつなぎ変えても曲として成立するくらいだ。歌詞の内容は前者がシチリアであり後者が日本である。ある種の異国趣味という点でも一致している。音楽的には歌詞の問題をのぞけば、1コーラスが終わった間奏部の充実度などでは、後に書かれた「ユリコ」の方が多少上達しているかもしれない。いずれにせよ、傑作アルバム「愛が帰るとき」発表前後のアダモの心にこうした作品題材として日本がよぎってくれたことは、私たち日本人にとってラッキーだった。

 「子供と時」は1977年発表アルバムにおさめられた傑作である。わかりやすい平易な内容でありながら、曲自体は非常に豊かで、子供の恋心という単純・素朴な歌は、そのまま何ら深読みする必要もなく魂の奥底に広がってゆく。これは平易で単純なワルツである。それでいて深い詩情をたたえている。ここで分析したどの曲よりも「夢」がある。それはあたたかく、はかなくも無限のリフレインを奏でながら遠ざかってゆく。この曲もまた、70年代後半に一人の天才がたどり着き、そして通過していった境地である。

[結論]

 アダモ作品の中で初期には大きな位置を占めていた三拍子の作品は作曲家の成長とともに減っていった。しかし作曲家はこの形式を捨てていったのではなかった。重要なターニング・ポイントになった67年とそれ以降の作品でもこのリズムを利用した名作を随所随所で生みだしていったからだ。しかもそれは初期のように一つの語り口のパターンとして選ばれたものではなかった。初期の四分の三拍子または八分の六拍子のリズムにポンポンと乗ってゆくのではなく、この分析文中で言葉として論理的に説明できるくらい、明確な趣味(=詩の素材や曲想にぴったり一致するリズムを選択する本能的感性)をもって、選択されているのだ。アダモにとっては、リズム(拍子)もまた完全に自立的・本能的に選択される趣味=「テイスト」であったのだ。これによって私たちは、アダモという才能の感覚的緻密さをもう一度実感することになるのである。

                                                                                             2000年9月22日